北里柴三郎を指導したコッホは10 歳年長で、北里がドイツに留学したときには、すでに世界的に有名でした。非常に熱心に研究に打ち込む北里とコッホの研究信念が重なり、二人は研究を通じて本当の親子のような関係を築き、1908 年にコッホ夫妻が来日した約2 ヶ月間は常に付き添い、熱烈に歓迎しました。1910 年敬愛するコッホが逝去したとの知らせにひどく落胆した北里は、伝染病研究所の角にコッホの遺髪を神体とした祠を建て深い哀悼の意を表しました。
北里は仕事熱心である一方、子煩悩な一面も持ち合わせていたことはつとに有名でした。東京医学校卒業後すぐに結婚し、四男三女に恵まれました。海外出張の船旅中に家族へ送った手紙には、船旅は暇であること、兄弟喧嘩をせずに勉学に励めば、お土産を沢山持ち帰ると綴っています。この文面から、家では良きお父さんとして子供に接していた姿がうかがい知れます。
参考資料:北里柴三郎記念室資料
「ノーベル賞 二十世紀の普遍言語」中公新書 矢野暢著
(文責:日本BD 川口恵子)