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ハンス・クリスチャン・ヨアキム・グラム

先人達の足跡
2024年4月発行
掲載内容は、情報誌「Ignazzo(イグナッソ)」発行時点の情報です。
Hans Christian Joachim Gram (1853~1938)
デンマークの内科医。専門は細菌学、病理学。彼が140年前に考案したGram染色は現在でも微生物検査の第一線で使用されている検査なので1)、本当に彼の功績の偉大さが良くわかります。彼が生まれたバンドホルムは、マリボ修道院に物資を供給するために栄えたデンマークの首都コペンハーゲンから車で2時間程度離れている小さな港町です。
彼は1853年に父親のFrederik Terkel Julius Gram(当時37歳)と母親のLouise Christiane Roulund(当時24歳)の間で7人兄弟の長男として生まれています。後述しますが、Gramが植物学、血液学、薬理学、細菌学、病理学など多岐にわたる研究の中でGram染色が生まれています。

医学への目覚めと顕微鏡との出会い

 Gramは1871年にコペンハーゲンメトロポリタンスクールで学位を取得し、1873年にコペンハーゲン大学で動物学者Japetus Steenstrupのもとで植物の研究をはじめ、薬理学の基礎と顕微鏡の使い方を学んでいます2)。それがきっかけとなり1878年にコペンハーゲン大学で医学博士を取得、同年から83年までコペンハーゲン市立病院で内科研修医として働くこととなりました。内科研修医の時には赤血球に関する研究をしており、大赤血球症と悪性貧血の関連性について研究成果をあげ、1882年に29歳という若さでコペンハーゲン大学からゴールドメダルを授与されています。

ヨーロッパ放浪時代と薬理学

 1883~85年はフランス(ストラスブール)やドイツ(マールブルグやベルリン)などで細菌学に加えて、もともと興味のあった薬理学の研究も続け、コペンハーゲン大学に戻り、ハビリタチオン(いわゆる教授資格を得るための学位取得)を受け、86~89年まで非常勤講師、90年には薬理学講師、その年の後半から薬理学教授に就任、1990年まで大学で教鞭を奮っていました。同年に薬理学から退いて新たに病理学と内科学の議長となり、医学部の内科教授の話はありましたが、就任することはないまま1923年まで仕事を続けています。1892年から王立フレデリックス病院やデンマーク国立病院で内科医を兼務しており、基礎研究と臨床研究の二刀流として活躍していました。

偶然に見つけた病原体と肺炎の原因菌に関する論争

 1883年にコペンハーゲン大学で細菌学のSalomonsen(Robert Kochに結核菌の染色技術を学んでいます)の講義を聞く機会があり、それがきっかけで細菌学に興味を抱くことになります。細菌学と言うより、むしろ内科学の研鑽の目的でSalomonsenの紹介でフリードリヒスハイン病院のCarl Friedlander教授(1882年にKlebsiella pneumoniaeによる肺炎を世界で最初に症例報告)の下で働くことになります。Friedlanderは1883年に髄膜炎菌性敗血症の患者において腎壊死を伴った症例報告をして以来、腎組織標本の染色について研究を重ねていました。
 ある日、染めた腎標本に誤ってアルコールをこぼしたところ、標本が漂白されてしまうトラブルに遭遇します。漂白された標本を顕微鏡で覗いたところ、”青く点在する球菌”が確認されていました3)。Gramはアルコール処理により脱色したことをFriedlanderに報告しました。同年11月にFriedlanderは肺組織で確認できたことを発表していますが、それがStreptococcus pneumoniaeなのかK. pneumoniaeなのか鑑別せずに終わっています。
 Gramは1884年3月にFriedlanderが染めた20症例の追加実験をして、19症例が“青く点在する球菌”であり、1症例は漂白されていたことを報告しています。前者はS. pneumoniaeだったと思われますが、後者はK. pneumoniaeだった可能性があります。Gramはこの時の標本に後染色を実施していませんが、グラム陽性菌とグラム陰性菌を分別できた初めての報告であったことは間違いありません4)
 その後、FriedlanderやJulius Albert FraenkelはGramの功績について触れることがないまま過ぎていきます。当時の研究ではGramの成果は現実とかけ離れていたのか、世間の評価が十分得られなかったことは残念な結果です。しかし、その後、後染色がビスマルクブラウンからサフラニンに変更され、分別がかなり確認しやすくなっています。現在では、Hucker変法やBartholomew & Mittwer法など染色態度が良い改良法が使用されるようになりました。

顕微鏡開発の舞台裏

 Gramの研究を論じる前に大切なのは顕微鏡の存在です。Gramは内科研修医時代に顕微鏡に触れて大赤血球が悪性貧血に関連した研究をしており、顕微鏡が好き過ぎて1日中覗いていたというエピソードも残っており、それは著者も共感できます。顕微鏡はもともと天体望遠鏡の技術から派生していますので、天体や微生物など肉眼的に確認が難しい対象物をガラスで拡大する高度の工業技術に支えられていることになります。顕微鏡の発明により生まれた資産は医学の発展に使用され、社会に幸福をもたらしました。Gram染色が発明された時代にはドイツでCarl Zeissが光学器械の合資会社を設立し、Ernst AbbeとOtto Schottが高屈折光学ガラスを開発した時代で、油浸アポクロマートレンズが搭載されるようになりました5)。このような医学と工学の最先端技術の向上にも後押しされていたこともGramにとっては追い風になっていたと思われます。
 Gramはとても控えめな性格であったようで、彼はGram染色の技術について“I am aware that as yet it is very defective and imperfect.”と語っており1)、それは「今後も研究者の手で改良を重ねて実用性を高めていって欲しい」という意味を含んでいるのかもしれません。

執筆:大阪大学大学院医学研究科 変革的感染制御システム開発学寄附講座 山本 剛
肺炎球菌性髄膜炎患者の髄液 Gram染色(×1000)
肺炎球菌性髄膜炎患者の髄液 Gram染色(×1000)

引用文献

1) Gram H. C. Ueber ide isolirte Färbung der Schizomyceten in Schnitt- und Trockenpräparaten. Fortschritte der Medicin, 2(6), 185-189, 1884.
2) https://www.wikiwand.com/ja/ ハンス・クリスチャン・グラム
3) 紺野昌俊:Paul EhrlichとHans Christian Gram(その3).モダンメディア, 57:319-324, 2011.
4) SCIENTIST OF THE DAY : HANS CHRISTIAN GRAM
https://www.lindahall.org/about/news/scientist-of-the-day/hans-christian-gram/
5) 日本工業顕微鏡協会:3. 顕微鏡の歴史. https://microscope.jp/history/03.html