1865年7月、ゼンメルワイスは神経衰弱と思われる症状に苦しんでいました。現代の歴史研究家の中には、これはアルツハイマー病または老人性痴呆だと言う人もいます。ゼンメルワイスは、親族や友人によって半ば強制的にウイーンに連れていかれた後、Niederostereichische Landesirrenanstalt in Wien Doblingという精神病院に入院し、2週間後に帰らぬ人となったのです。これまでの説では、ゼンメルワイスは、敗血症が原因で死亡したと信じられてきました。敗血症は、汚染された指が原因で発症する産褥熱とよく似た症状を示す病気です。しかし、「Journalof Medical Biography」誌に発表されたH.O.ランカスターの論文によると、これは事実ではありません。
“ゼンメルワイスに関してはこれまで数多くの伝記が書かれているが、1865年8月13日に彼がどのようにして死亡したかという点については、1979年、S. B. Nulandによって初めて明らかになった。精神状態が悪化してから数年後、ゼンメルワイスはウイーンにある精神病院に入れられた。そこで暴れ出した彼は、病院の職員による暴行を受ける。その時の傷がもとで2週間後に死亡したのだ。したがって死体解剖中に負った傷がもとで感染症にかかったというような、まるでギリシア悲劇のようなドラマチックな最期は、これで完全に否定されたわけである”
ゼンメルワイスの死後、感染は病原菌によって起こることが発見されました。今では彼は、消毒法と院内感染予防のパイオニアとして認識されています。